ペンギンの飛び方

本を読んだりニュースを見たりして考えたことを、自由に書いていきたいと思います。

「人類vsAI」はなぜ熱くなる

 

こんにちはhuman921です。

ここ数日、google人工知能の技術を駆使したらしい囲碁ソフト「AlphaGo」と、

韓国の世界最強レベルの棋士イ・セドルさんとの世紀の対局が盛り上がっていますね。

僕自身は囲碁人工知能についても全く疎いのですが、先日のセドルさんの初勝利にはとても感動し、胸が高鳴りました。

で、そこでふと、この感覚何かに似ているなぁと思ったんです。

Wカップで日本代表が勝ったときとも違う、CLでバルセロナが勝ったときとも違うこの感覚…。

数分間、この感覚は何かと頭を悩ませていたら、分かったんです。

これ、「陸上100mで、ボルトが世界新記録を出したとき」の胸の高鳴りと同じでした。

この、人類の一員として、同じ地球人として、応援する感覚と言うんでしょうか、

「なんかこれっていいなぁ」と漠然と思いました。

 

 

比べるべきではないと分かっているんですけど、実は僕、以前からオリンピックで自分の全く接点のない競技での日本の活躍に、例えばサッカーWカップの日本代表の活躍ほどは「リアル」に喜べないでいました。

むしろ、自分の知らない競技に関しては、国籍問わずいかに超人的な人類の限界を超えた人間の技を見れるかに注目していました。

その点、僕の父なんかはどんな競技でも日本がメダルをとれば熱狂していたので、なぜそこまで喜べるか不思議だったんです。

例えば自分の好きな競技だったり、チームのプレイスタイルが好きだったり、個人競技であればその人個人のパーソナリティが好きだったり等々であれば熱狂するのも分からなくはないんですが…。

 

以前にも紹介したことがあるのですが、社会心理学に「内集団びいき」という用語があります。

自分が所属する内集団を、所属しない外集団よりも高く評価したり、特別であると感じたりする

という意味なんですが、オリンピックやあらゆる国際大会は国代表として出ているわけで、必然的に「内集団びいき」は国単位で生じます。

もちろん、これにより集団成員の集団への帰属意識が強まってゲームが白熱するわけで、むしろこれがないとあらゆるスポーツは興行として成り立たないですし、無味乾燥としたものになってしまうでしょう。

 ですが上記のボルトや冒頭の「AlphaGo」との対局と言うのはその「内集団」を、一瞬ではあっても人類全体にまで広げてくれた気がするんです。*1

いや、だからといってコスモポリタニズム最高!というわけじゃないんですが、 やっぱり人類単位でくくられたときの一体感ってすごく気持ちが高ぶるなぁということでした。

*1:もちろんボルトには他国や自国の競争相手、「AlphaGo」には開発者がいるわけで、正確に「人類全体」ではないんですが