「好きでいてほしい国」と「嫌いでいてほしい国」
今回は過去の記事で扱ったYouTubeのサジェスト比較について自分なりの考察を加えてみたいと思います。
考察対象として、当記事では過去記事で挙げたサジェストの中でも「日中韓露」に的を絞ってみたいと思います。
というわけで過去記事から一部を貼り付けます。(すべて2016年4月5日の検索結果です)
各国のサジェストにおける相違点
まずこのサジェストを見てすぐ目に付くのは、中国、特に韓国に対するそれの異常さであると思います。
これら二国のサジェストにおいては、ナショナリズムの非常に悪い面が発露しているように思われます。
確かに国同士での関係が良好ではない現在、このような結果になってしまうのはすんなり受け入れるとまでは行かないまでも、容易に考えられる事態であるのかも知れません。
が、とりあえす日本のYouTubeには、国家にアイデンティティを依拠し、そこでの「快感」の為に情報を集める人々が、少なくともサジェストにはっきりと影響を与える程度にはいる、ということは厳然とした事実であるように思います。
しかしそのように考えるとあるひとつの疑問が生まれます。
それは、なぜ中国や韓国と同じく日本と対立のあるロシアのサジェストには中韓と同じ傾向が見られないのかというものです。
むしろそれどころか「ロシア人 日本好き」というワードすらあります。(さらに言うなら「○○人」と入力して「日本好き」と出てくるのは僕がいくつか調べたところロシアだけでした)
中国や韓国と程度の違いはあれどロシアも日本とは領土問題や歴史的な点で(去年はシベリア抑留の記憶遺産の件でひと悶着ありました)問題を抱えています。
そのような背景から世論調査では、日本人のロシアへの親近感は中国と同程度に低いということが明らかになっています。
このようなことを踏まえると、中韓のサジェストとロシアのそれとの違いは、やはり不可解であるように思えます。
YouTubeで中韓が崩壊する、嫌われているという情報を集めるほど悪い意味でナショナル・アイデンティティが高揚した人々は、なぜ同じく日本と対立を抱えるロシアに対しては、その憎悪を向けないのでしょうか?
今回はこれら三国のサジェストの傾向の違いが生まれる要因を、「社会的アイデンティティ理論」と「下方比較」という面から論じてみたいと思います。
社会的アイデンティティと自尊心
まず「社会的アイデンティティ」という用語の意味について説明します。
この理論では、人間は自分独自の性格や記憶が構成要素である個人的アイデンティティに対して、ある集団(カテゴリー)の一員としての自己を定義するとされています。
この集団には、たとえば、男性や女性、日本人とかアメリカ人とか○○県民など、様々なものが当てはまります。
そしてこの「社会的アイデンティティ理論」によると、自尊心の高揚は、この「社会的アイデンティティ」を通じて行われるとされています。*1
この議論をふまえると「日本」・「日本人」のサジェストのいくつかは説明が可能ですが、さらにこの理論を応用して、ロシアにだけ「ロシア人 日本好き」というサジェストが出てくる疑問にも考察を加えてみたいと思います。
僕が考えたのは、もしかするとロシア人は、日本にアイデンティティを依拠し、それによって自尊心を高揚させようとする人々にとって、自集団を好きでいてくれると自尊心が特に高まる人々であって、同時に嫌ってほしくない国民なのかもしれない、というものです。
社会的アイデンティティ理論においては、自集団が高く評価されている、あるいは好かれているという情報は、当該集団にアイデンティティを依拠する個人にとって多分に自尊心の高揚につながります。
そのような背景がある中、国同士の対立が存在し、ともすれば自然と相手国民に嫌われている、国民同士憎しみあっている、というような認識が出来上がってしまうのは、その国民に好かれたい人々にとって死活問題であるわけです。
したがってそのような場合は、あえて好かれているという情報を積極的に集めざるを得ません。
国同士で対立がある。でも嫌ってほしくない、好きでいてほしい。だからそれを覆すために彼らは、ロシア人は日本が好きという情報を集めることに躍起になっているのかもしれません。
もちろんこれだけではこれら三国の違いを説明するには弱すぎます。
そこで次に「下方比較 」という観点から論じてみたいと思います。
下方比較のしやすい相手・しにくい相手
「下方比較」とは、自分より下(と認識できる対象)を見つけ、あるいは自ら作り出した上で、自身とその対象を比較し自尊心を高めることを言います。
これを上記の「社会的アイデンティティの理論」と組み合わせると次のようなことが言えます。
それは、人間は自分の所属する内集団と対象の外集団を比較し(≒下方比較)、自集団を肯定的に認知することで、自尊心を高めることができる、ということです。
なるほどこの観点から見れば、「すごい・感動的な愛される日本」 と「崩壊し、嫌われている中国・韓国」という「対比」は、ナショナルな括りにアイデンティティを依拠する人々にとって、自尊心を高める上で最高の組み合わせであると言えます。
しかしここで重要なのは、一体どういった集団が下方比較での比較対象に選ばれるのか、という点です。
まず、集団同士が「対立」を抱えているというのは不可欠な要素であると思われます。
これは下方比較が本来持つ性質から来るものですが、この「比較」の上ではどうしても対象となった外集団を貶める、あるいは否定的な認知の出来る情報を集めるというプロセスが必要です。
なぜなら、そうしなければ「下方」比較が出来ないからです。そしてそれは相手集団がより自集団と似ている場合、より一層求められることになります。
しかし、仮に対象集団が自集団と友好な関係であった場合、そのような集団を貶め、否定的な情報を集めることは本人に強い抵抗感をもたらします。
自分を好きでいてくれる相手を貶すことは誰にとっても難しいことだと思います。
したがって下方比較の対象は自集団と対立を抱える集団となる可能性が高いと考えられるのです。
このことを踏まえると、ナショナルなアイデンティティで以って自尊心を高揚させる人々にとって、中国、韓国、ロシアは下方比較の対象としては「使える」外集団と言えるのではないでしょうか。
だからこそ、中国や韓国のサジェストは上記のようなものとなっているわけです。
しかしこれまでも言っているように、ロシアからはこれら二国と同じ傾向はうかがえません。むしろ「好き」であるとする情報を集める人々が多いのです。
僕はこの原因は、彼らにとってロシアが下方比較のために必要な、「下に見る(見なす)」ことの出来ない集団であるからではないかと考えていますが、それがなぜなのかは当記事では追いません。
とりあえずここではこのように仮定して議論を進めたいと思います。
建前との矛盾
中韓のサジェストの ナショナリズム的傾向を生み出している人々は、それを日本という社会的カテゴリーを利用した自尊心の高揚のためにやっているということをあけっぴろげに言うわけにはいきません。
なぜならこの行動は、これら二国が日本と対立を抱え、日本の「国益」を害しているから、そしてそれを憂う自身の「愛国心」の発露という建前で初めて、「差別」という批判を退け、客観的な正当性をかろうじて担保できているからです。
つまり相手がこんなことやってるんだからこっちだって~という「目には目を」の論理です。
したがってこの建前を壊すことは、中国や韓国を貶める情報を集めるという自身の行動の正当性を失わせてしまうのです。
しかしこの点から言うと、愛国心や国益などの建前で自身の行動を正当化し、本来の自尊心の高揚という目的をカモフラージュする人間にとって、日本とロシアの対立は非常に厄介な存在です。
なぜならこれまで挙げた要因によって、中韓露に対して行動の一貫性が保てず、建前との矛盾が生じ、「自尊心の高揚」という「愛国心」とは程遠い「利己的な」本来の目的と、自身の中韓への「差別意識」が、客観的に明らかとなってしまうからです。
これを防ぐための最後の手段が、「ロシア人 日本好き 」なのではないかと僕は感じています。
つまり、国同士の対立を抱えているけれども、「実は」相手国民は日本のことが好きなのだから、自分はロシアのことを貶めないのだ、ということにするのです。
まとめ
これまでの議論をまとめてみます。
- YouTubeでサジェストに影響を与えるほどの規模を持ち、中国・韓国のネガティブな情報を集める「彼ら」は、国益や愛国心のためと言うよりは、むしろ社会的アイデンティティ理論の観点で見た場合、アイデンティティである日本国籍を使った自尊心の高揚が目的であり、それが行動の指針となっている。
- その意味で「彼ら」にとって日本は、愛する母国というよりは自尊心の高揚という目的達成のための「道具」でしかなく、その道具が通用しない相手、つまりロシアなどには沈黙せざるを得ない。*2
これらの仮説を踏まえると、国籍に自身のアイデンティティを依拠しそれによって自尊心を高める中で、日中韓露のサジェストのナショナリズム的な傾向を生み出している人々にとって、世界には大きく二つの国が存在していると言えるのかもしれません。
ひとつは、自尊心の高揚と、下方比較の難しさから自国を「好きでいてほしい国」。
ふたつめは下方比較の正当化と抵抗感の軽減の為に自国を「嫌いでいてほしい国」。
補記
これまでの推論は、ある程度の同一視を前提としています。
つまり「ロシア人 日本好き」とか「日本人 すごい」と検索する人々と中韓のネガティブな情報を検索する人々を同一集団であると仮定しているのです。
たしかに簡単に同一視できるものではありませんし、僕自身くわしく調査をしたわけではありません。
しかしこれらの動画に寄せられているコメントのユーザーページ、動画を挙げているチャンネルの他の動画や関連チャンネル、あるいは動画自体の関連動画などを見ると、社会的アイデンティティ論を使ったこの推論は、通低する行動指針の存在を仮定した場合の、これらの国々のサジェスト傾向とその相違点のひとつの説明として、そこまで的外れではないように思うのです。