読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ペンギンの飛び方

本を読んだりニュースを見たりして考えたことを、自由に書いていきたいと思います。

太平洋戦争におけるアメリカの日本人像と現在

 

今回は少し重いテーマを扱ってみようと思います。

太平洋戦争では日米両方の陣営が相手国民への敵愾心をあおるために、多様なプロパガンダ戦略を展開したことはよく知られています。

アメリカの歴史学者で『敗北を抱きしめて』でも有名なジョン・ダワーは、著書『容赦なき戦争―太平洋戦争における人種差別』*1で、太平洋戦争においては両国の相手国に対する「人種差別」が、プロパガンダも含めた政府や軍部の政策や、戦場の兵士たちの行動に大きな影響を与えたことを指摘しています。

特にアメリカは、有利な戦争遂行のため当時の多くの著名な人類学者や社会学者等を動員して、遠く離れた有色人種の国家である日本の国民性・民族性を詳細に「診断」しました。

 しかしダワーによれば、彼らの診断は一見「科学的」な手法をとっているように見えて、実際は、既存の人種主義的な日本人についての憶測を補強し、当局の推し進めるプロパガンダに学問的な根拠を与えてしまったという側面があったようです。

 

今回はその中から特徴的なものをいくつか紹介したいと思います。

 

ダワーによれば当時の欧米の日本についての解説において、日本人が国民として「集団的神経症」に罹患しているという言説は非常に頻繁に見られるものであったようです。

その中でも特に顕著であったのが集団的な「劣等感」でした。

 

「日本のひときわ目立つ劣等感」は、意識下で「個々の日本人が神=天皇の支配下にある 個々の朝鮮人と中国人に、不幸にして精神的にも肉体的にも劣っていることに気づいている」事実によるところが大きいと(年代記作者の)スノウは説明した。…「日本人は、永遠に補償の方法を捜し求めており」―他者に対する侮辱、残忍な仕打ち、気まぐれな虐殺に、その補償を見出している。*2

 

(ジャーナリストのヘレン・ミアスは)日本人が人種的な優越についての教科や神話的な迷信を受け入れやすいのは、「いわば呪文を唱えたり自己催眠にかかるような類で、劣等感…欧米人が『有色人種』は劣等だとする屈辱―をはね返すテクニックであった」とした。*3

 

また、「ノイローゼ」や「強迫神経症」などの語句も、多くの分析家や研究者に好まれ、日本人全体に当てはめられました。

 

1944年12月の会議で、この分析のくだりが熱情をこめてダグラス・ハリングから紹介された。彼は、宣教師として何年も日本で暮らしたことのある人類学者だった。ハリングは、やはり日本に長いこと滞在したことのある知人に、カレン・ホーナイ著『現代の神経的症的パーソナリティ』のある章を、どのように読んだか話した。ホーナイが「神経症患者」と書いたところはすべて「日本人」という言葉に置き換えたと言うのである。彼の知人ははかつて聞いた「最も完璧な日本人についての説明」であると語ったと言う。*4

 

ハリングのこの発言に対しては、その直後に「誰かが『アメリカ人』を『神経症患者』に置き換えても、ほぼ同じ結果が得られるだろう」という発言が飛び出しました。

しかしこのような内省は、当時は非常に稀でした。

それどころか、日本人は感情的抑圧とかノイローゼに悩んでいるだけではなく、精神的・情緒的な障害のありとあらゆるものに苦しんでいると診断されることが圧倒的に多かったのです。

 

ウィリス・ラモットは、このやり方を1944年の著書『日本』の冒頭で示した。「現代の日本は、まぎれもなく心理学上の症例である。その国民的な精神病、ノイローゼ、精神分裂症、それに偏執病は、繰り返す必要がないほど頻繁に語られてきている。好きなように呼ぶがいい。その精神状態は異常なのである」と彼は書いた。…「他のいかなる国においても狂信的な異端分子となるであろうことが、日本では典型的な行動様式に近いのである」*5

 

 これら学問的な箔付けを得て、マスメディアの日本を巡る言説は全く遠慮の無いものとなります。

 

「ライフ」誌の「ジャップスと中国人の見分け方」と題する有名な写真特集の中で、東条首相は「典型的な」日本人であり、…(その容貌は日本人の)「原始的な素性をばらしてしまう」 とされた。…また、「アジア・アンド・アメリカ」誌は、日本人が「現代世界における一種の奇形の生き残り」であると報じた。…「アメリカン・リージョン・マガジン」は…日本人のことにも触れ、「すべての民族が文明に向けて通過すべき暗黒時代の残忍な欲望に」取り憑かれた国民であると述べた。「リーダーズ・ダイジェスト」誌は、日本人を「ジャングルの生き物」と切り捨てた。*6

 

このように大衆を対象としたマスメディアへの日本人の「原始性」を形容する言説の広まりは、やがて次のような効果をもたらすようになりました。

 

 野蛮な敵という認識は戦場以外にも広がっていった。つまり、その認識を国民、人種、文化の全体に当てはめ、そうすることにより自らの報復および懲罰という野蛮な行為を、合理化、正当化したのであった。*7

 

ここまで来ると、 日本人が単に全体として狂った「異常な」民族となるまでにはあと少ししかありませんでした。

 

日本人の暴力は「癇癪」であるというゴーラーとエンブリーがが唱え始めた説は、日本人に関して一般向けの心理学的説明に携わっている人々には、すこぶる魅力的であることが分かった。…他の大衆向けの論評は、もっと無遠慮だった。…ある海兵隊員によれば日本人は単に、「徹底した気違い、頭の中が病気、それだけのこと」であった。*8

 

このように、専門家が唱えた分析は実際は大衆のステレオタイプを強化する方向に働きました。結果、当時の一般的なアメリカ人にとって日本人は、通常の人間が忌避するべき性質や不道徳をすべて詰め込んだ、徹底的に邪悪な、嫌悪されるべき存在として認識されるようになったのです。

 

ダワーは、これらアメリカの戦時下における日本に対する膨大な人種的偏見にまみれた資料を網羅的に提示し終えた後、あるメモを引用します。

それは、アメリカの日本に対するそれと非常に近い内容の、16世紀初めにスペイン人が新世界のインディオに対する蹂躙を正当化するために書かれたものでした。

そして章の最後に次のように述べています。

 

 われわれは、歴史上のもの現代のものを問わず、似たような手品をすることが出来る ―「日本人」を、他の人種や国民とだけでなく、非キリスト教徒、女性、下層階級、犯罪的な分子といったものと差し替えることが出来るのである。これは、…何世紀にもわたり、男性優先の西洋のエリート連中がになってきた、他の人々を認識し扱うための基本的カテゴリーを示している。獣のしるしのように原始人、子供、精神的、情緒的に欠陥のある敵というカテゴリー ―第二次世界大戦中は、とりわけ日本人に当てはまると思われ、新しい知的な解明も当然、日本人に特有のものと見なされた―は、つまり西洋の意識に記号化された決まりきった概念であり、日本人専用のものでは決してなかったのである。*9

 

 
そして21世紀の現在

翻って現在の状況について考えてみたいと思います。

これまで例示してきたような極端な人種差別を表明する言論状況は、日米間においては(特に主要メディアの中からは)ほぼ消滅したといってよいでしょう(当記事では触れませんでしたが、日本もかつてはアメリカのそれに近い言説を政府や民間のメディア問わず展開していました)。

しかし、視線を日米という局所的な関係の外に向けるとどうでしょうか。

最近、僕は日本においてネット上や書店で見かける近隣諸国(の国民)を形容する言説に、これまで引用した「診断」とレトリックや語彙上の共通点があることに気づきました。

つまり、70年以上前にアメリカが西洋の「人種的な偏見」に基づいて描いた日本の国民性が、現代日本における一部の言論が主張する近隣諸国の国民性、あるいは民族性ととても似通った点があるように思うのです。

以前の記事ではYouTubeのサジェスト比較をしてみましたが、どうやら少なくともYoutubeにおいては、日本のサジェスト上の傾向は特異であるように見えます。

また、ネットの検索エンジンで、あるいはツイッターで近隣諸国の国名を検索すれば、すぐに日本の誰かの、当該国の国民性、民族性に対する「診断」を見ることが出来ます。

 

現在日本は、上記のようなアメリカの日本人への人種偏見の強化の背景となった対外戦争状態にはありません。

したがって当然のように、軍事上の相手への報復のための、「言論」を用いた正当化、あるいは合理化も必要とされていないはずです。

現代日本の近隣諸国に対する言説(特に出版業界)は、もしかするとダワーのそれのように、後に回顧の中で(負の)歴史的な資料として著作にまとめられるような状況にあるのではないかと僕は感じています。

 

 

 

*1:旧訳は『人種偏見 太平洋戦争に見る日米摩擦の底流』

*2:ジョン・ダワー、1987年『人種偏見 太平洋戦争に見る日米摩擦の底流』TBSブリタニカp174  

*3:同上

*4:p176

*5:p176

*6:p184

*7:同上

*8:p188

*9:p191