ペンギンの飛び方

本を読んだりニュースを見たりして考えたことを、自由に書いていきたいと思います。

「日本スゴイ」と「内集団バイアス」

 

現在様々なメディアで取り上げられることの多いこの「日本スゴイ」という言説。各所で語られてる話題ですが、今回の記事ではこの件を、社会心理学的な観点から考えてみたいと思います。 

 

僕が見るにこれらの言説には、大きく2種類のものがあるように思います。

まず一つは「日本は優れている」というもの。そしてもう一つは「日本には独自性がある」あるいは「日本は特別なものを持っている」というものです(日本の後には「人」という言葉を入れてもいいです)。

カギカッコで示したこれらの言説には、ある共通点があります。それは、「他国との比較」が必要であるという点です。

「優れている」とか「特別である」といった物言いは、比較の対象となる基準のための「日本以外の国」、というアクターが存在しなければ成立しません。

したがってこれらの言説は全て、それがはっきりと言明はされなくとも「他国と比べて」という枕詞が存在しているわけです。

 

さて、こうした集団間の比較の際に、注意する必要のある現象があります。それがタイトルにある「内集団バイアス」、もしくは「内集団ひいき」と呼ばれるものです。

この現象は、自分の所属する集団、つまり「内集団」(や、その成員)を(過剰に)肯定的に評価し、好意的な態度を取る一方で、自分の所属しない集団「外集団」を不当に評価し、そのために貶めたり差別したりすることを指しています。

人間は誰しも、個人的な人間関係の中だけでなく、自身の「社会的カテゴリー」、例えば「人種」や「性別」、「国籍」などからもアイデンティティを形成しています(これを「社会的アイデンティティ」と呼びます)。

人間は一般的に、自己を肯定的に評価することで自尊心を維持、あるいは高揚しようという性質を持っていますが、まさにこの性質のために、「内集団バイアス」は生じます。

つまり、本題の「日本スゴイ」に関して言えば、日本や、その成員を肯定的に評価することで、同じ日本人である自分の自尊心も高まるわけですが、こうした営為の中に、他国やそこに住む人々への貶めや差別が紛れ込んでくるわけです。

 「内集団バイアス」は基本的に、自己と所属集団を一体視する傾向が強い人ほど、つまり、対象の社会的カテゴリーへの帰属意識が高く、それに自己を強く依拠する人間ほど生じやすいということが明らかとなっています。

しかしその一方で、実験のため一時的に分けられた実質的には無意味な集団間においても生じることも判明しており、このことは、自集団を「客観的」に、また他者を傷つけることなく評価することの難しさを物語っているように思います。

 

さて、これまでは集団間の比較におけるバイアス、その中でも「外集団」 に対して危害が及ぶ可能性のあるものについて説明してきましたが、実はこの攻撃の矛先が内集団の成員へと向かうバイアスも存在します。

それが「黒い羊効果」と呼ばれるものです。

この現象は、これまでの「内集団バイアス」が「内集団」に向けて作用させてきた効果を、正反対にしたものであることにその特徴があります。

つまり「黒い羊効果」とは、「内集団」の中で、劣った成員、あるいは集団の価値から逸脱していると認識された成員を過剰に低く評価し、集団から排除する現象のことを指しています。

この現象は、「内集団バイアス」と同じく、所属集団へ自己を強く依拠し、集団と自己を一体視する人間ほど、そしてまた「内集団バイアス」を強く持つ人間ほど生じやすいことが実験により明らかとなっています。

「内集団バイアス」と「黒い羊効果」、一見矛盾する この2つの現象が、なぜ共存するのでしょうか。

 この疑問については、「内集団バイアス」の説明の中で触れた「社会的カテゴリー」とそれを利用した「自尊心の維持・高揚」の話を応用すれば理解できます。

つまり、「国籍などの社会的な属性に強く自己を依拠し、それによって自尊心を高めようとする人間」、言い換えれば、「自己と所属集団を一体視し、集団への評価が自分の評価へと直接に結びつく人間」にとって、集団の価値を落とし、そこから逸脱する「劣った」人間は、ひどく邪魔な存在となってしまうのです。

したがって、劣った成員を過剰に低く評価し、例外として処理する「黒い羊効果」は、内集団の価値や評価の維持のために行われており、外集団を貶め、内集団を高く評価する「内集団バイアス」と、同じ目的(=自尊心の高揚)から生まれたもの(ゆえに共存する)、と言うことができるわけです。

 

「日本スゴイ」の是非(?)を巡るいくつかの議論の中には、「内集団バイアス」による他国、つまり外集団への蔑視や差別については危惧するものは多くありますが、僕が見た限りでは、この「黒い羊効果」について言及するものはあまり多くないようです。

しかし、僕自身は、「黒い羊効果」の方も、十分に怖いものだと思います。

そこで近年の日本におけるこの現象の具体例として、僕が考えてるものを一つ挙げてみたいと思います。

それは、「貧困問題」にまつわる言説です。

特に貧困を取り上げるテレビ番組のニュースや特集に顕著ですが、こうした番組に対して「自己責任」とか「本当の貧困じゃない」などの感想が集まったり、あるいはそうした議論(「本当に救うべき貧困か?」)が交わされたりすることが多々あります。

こうしたことの背景には、もちろん様々な要因があるとは思いますが、僕はその中の一つにこの「黒い羊効果」があると感じています。

社会の中に貧困という問題があり、それが一定の規模を越えた場合、それは社会の、なんらかの機能不全を意味します。

こうした問題を直視し、社会(の)問題として取り上げ、改善に向けて努力してゆくことが、本当の意味での社会集団の価値の向上、前進のためには必要なわけですが、「黒い羊効果」が強く現れている人間にとっては状況が異なります。

というのも、自分の所属する社会(集団)が、そのようなひずみを生んでいるという事実それ自体が、内集団(の評価)に自己を強く依拠する人間の自尊心を傷つけてしまうからです。

このため、「本当の貧困じゃない」と言って貧困問題をないものとしたり、「自己責任」としてその人個人の問題(彼らの努力を過剰に低く評価)とするわけです。*1

そして「自己責任」として切り捨てられた人々は、往々にして「内集団」の成員から排除されます。実際の日本の例に当てはめれば、彼らは、「日本人以外の人間」として認識されるようになります。

なぜなら、「黒い羊効果」が強く現れているような人間は、国民を集めた総体としての「日本(社会)」に依拠するだけではなく、その成員の総称である「日本人」という「内集団」にも自己を依存していると考えられるからです。

したがって、「自己責任」によって貧困に陥るような怠惰な日本人は、日本人の価値を落とす危険性があるという理由から、日本人という「内集団」ではない、「外集団」の成員として認識される可能性があるのです。

 

ここまで長々述べてきましたが、だからといって僕は「内集団」、つまり日本や日本人を肯定的に評価するのはやめよう、という気は全くありません。

そうではなく、そういう言説にはある程度の危険性がつきものだということを言いたかったのです。

なんだか説教くさくなってしまいましたが、これらのリスクに自覚的になることが、結果的には日本人みんなの生きやすさにもつながるのではないか、と僕は考えています。

 

参考

山岸俊夫著 2001年 『社会心理学キーワード』有斐閣双書

大石 千歳・吉田富二雄『黒い羊効果と内集団ひいきー社会的アイデンティティ理論の観点からー』「心理学研究 第73巻 第5号」pp.405-411

 

*1:厳密に言えば前者は「黒い羊効果」ではないですが、そうした認識の理由が集団の評価に自己を依拠しているから、という点では同一です