ペンギンの飛び方

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差別と「社会的距離」

 

トランプ大統領が誕生したことで、以前にも増して注目が集まっている差別問題、人種問題ですが、今回の記事では、これらの問題と密接に関わる「社会的距離(Social Distance)」について考えてみたいと思います。

「社会的距離」とは、個人や集団間の親近、疎遠の感情の程度のことを指しますが、アメリカの社会学者ボガーダスは、これに「社会的距離尺度」導入することによって「距離」の尺度化を試みました。

この尺度は、被験者の所属集団と、異なる民族・人種集団との距離を測定する7つの質問によって構成されており、具体的には「結婚によって新しい縁を持っていいか」「隣人として街に迎え入れてもいいか」「職場の同僚として迎え入れてもいいか」「市民権を与えてもいいか」「自国から追放するか」などの質問への回答によって他集団に対する差別や排外意識、偏見の程度が測られることになります。

現在日本では、内閣府の外交に関する世論調査の一環として、毎年特定の国に対しての「親近感」が調査されていますが、この調査が当該国の政治状況に左右される外交的なものであるとすれば、この「社会的距離」は他集団の人々に対しての、市民の「肌感覚」により近いものであるといえるでしょう。

いくつかの研究の結果、この「社会的距離」は、被験者が対象となる他人種や民族集団を「内集団」とみなせるか否かが重要な要素となっていることが明らかとなっており、その中でも特にエスニックアイデンティティが大きな影響力を持っているとされています。

つまり、人種や民族といった区分の中で、内集団と見なせる他集団に対しては社会的距離は短くなり、そうでない外集団に対しては長くなる傾向にある、というわけです。

実際ボガーダスがアメリカの非移住者の白人に行った調査でも(この調査は大量の移民流入という背景の中で1920年代におこなわれたものですが)、カナダ人やイギリス人など、アングロサクソン系の白人に対しての社会的距離はより短く、トルコ人や日本人などの有色人種に対してはより長く(ちなみに日本人の方がトルコ人よりも長い)なるという結果になりました。

 

さて、ここで気になるのは私たち日本人が持つ、他人種・民族への社会的距離です。これまでの議論をあてはめれば、日本人が持つ他集団への社会的距離は、黄色人種に対して、中でも民族、文化的にも近い東アジアの人々に対して短く、それ以外の人種や民族に対しては長くなるだろうということが想定されます。

ところがいくつかの調査によれば、こうした社会的距離に関する法則は、日本においては当てはまらないことが明らかとなっています。

具体的に言えば、日本において社会的距離が最も短いグループは、北アメリカとヨーロッパの国々の人々で、アジア人に対してのそれはより長いのです(この傾向は近隣諸国の中では韓国も共通しています。が、データを見るに日本ほど極端ではありません)。

これらのことは何を意味するのでしょうか。

まず考えられるのは、全体として日本人においては、黄色人やアジア人といった自身の人種(民族)上の属性が他集団の内外の評価に影響を与えていない(傾向にある)ということです(このことは日本人のアジア人へのアイデンティティ帰属意識が低いことを意味しません)。

そして同時に、日本人は人種・民族的に近いアジアの国々の人々よりも、相対的に欧米の人々に対して「内集団」としての意識を持っている可能性があるという事になります。

「考えられるのは~」からの文章は僕の推論でしたが、僕はこの「社会的距離」が日本における差別言説のいくつかを特徴付けている気がしていて、とても注目しています。

 

 

 

 参考文献

我妻 洋・米山 俊直、1967年『偏見の構造―日本人の人種観』NHKブックス

五十嵐彰、2015年『東アジアにおけるエスニックヒエラルキーに関する研究-Mokken Scale Analysis による EASS 2008 データの分析-』「日本版総合的社会調査共同研究拠点研究論文集」 pp.41-50