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ペンギンの飛び方

本を読んだりニュースを見たりして考えたことを、自由に書いていきたいと思います。

「本音」の矛先が自分に向かうとき

 

過去の記事ではトランプさんの当選を出発点に、インターネットと政治と本音の関係について論じました。その最後の部分で、僕は次のようなことを書きました。

 

 ここ日本でも、政治において(インターネット発の)「本音」は力を持ち始めています。

思えば、こないだの待機児童の問題を糾弾した「日本死ね」も、あえて荒っぽい言葉を使うことで当人の心からの叫び、「本音」の発露だと捉えられたからこそ、注目を集め、多くの人々の共感を得ることが出来たのだと思います。

しかし同時に「本音」は、記事が掲載されていたブログタイトルの通り、先日の元アナウンサーの方のような主張にも使われることがあるのです。

インターネットの普及、またSNSの隆盛によって、私たちはいつでも見知らぬ人々の大量の「本音」を見ることが出来るようになりました。

私たちにはこの「本音」がどのようなもので、どこまで尊重されるべきものなのかを、ある程度厳しくみることが、今求められているのかもしれません。

もちろん、「自分は行き過ぎたPCに対して批判しているのであって、それ自体を否定しているわけではないし、差別も肯定していない」 と考えている人も多くいるでしょう。

しかし、あのような発言を繰り返した人物が政治という公共領域に躍り出て、それを特に撤回もしないまま国のトップにまで上り詰めたことの影響は、深く考える必要があるように思います。

それは、いつか誰かの耐えようのない「本音」が自分自身に向いてしまった時に後悔しないためにも、必要なことだと僕は考えています。

 

引用元↓

human921.hatenablog.com

 

そして先日、2016年の新語・流行語大賞が発表され、引用で触れていた「保育園落ちた日本死ね」がトップ10に選出されました。

このことはどうやらネット上で様々な議論を呼んでいるようですが、僕はこの件は、誰かの鋭い「本音」が自分自身に向かうということがどういうことなのかを、図らずも私たちに擬似的にではあれど示してくれたのではないかと感じています。

この「日本死ね」は比喩的な表現であり、当然これは特定の他者を攻撃したり迫害する意図はありません。

しかし「日本」という言葉を据えられ、一応日本で権威があると見なされている流行語大賞に選出され政治的に力を得、あたかも公共領域に持ち込んでもいい正しい表現であるというお墨付きが与えられたように見えることで、それに対し不快感を感じ反発する人が多く出てくるようになりました。

「日本」という言葉の為に、もともとこの言葉は自分自身への攻撃だと感じる人(日本と自身を一体化している人など)が出る可能性のある表現だったのですが、これが公の場で力を持ち賞まで与えられることで、大きな反発を呼び込んだのです。

 

このネット発の本音が、もっと攻撃的で、矛先となった人々にリアルな身の危険まで感じさせるまでに(実際にある)過激化し、それが政治領域に持ち込まれ、その主張者が国のトップまで上り詰めたのがアメリカです。

しかし日本では、これに対しそこまで危機感を募らせるような意見はネット上でも、あるいは既存の大メディアでも主流ではありませんでした。

むしろ非常に楽観的な意見や、「本音」を言うことを憚られてきたアメリカ国内のマジョリティに同情するような意見も目立ちました。*1実際には、この「本音」には日本や、米国内の日本人も含めたマイノリティに向けられたものもあったにも関わらずです。

所詮は海の向こうのことで自分とは関係ないと考えられていたのかは定かではありませんが、もしそうだとするとこの「日本死ね」は、(今回の件ではそのように見えるだけではあるけれど)自分を標的とするネット発の「本音」が、自分の住む国で公的領域に進出し、公の場で主張してもいい表現であると認められることによって生まれる恐怖や不快感を、私たちに示してくれたのではないでしょうか。

誰かの耐えようのない本音の「鋭さ」は、どうやらそれが自身に向かってきたときにはじめて真に理解されうるものなのかもしれません。

 

冒頭の引用でも示したように、ネットやそこから生まれたSNS等の普及により、既存の大メディアの影響力が相対的に低下している現在、これからもネット発の本音が公共領域に進出し注目を集める、ということは頻繁に起き、一つのムーブメントのようになるでしょう。

しかしそれが本当に尊重されるべきものなのかは、たとえその矛先が自分に向かうものではなくとも、深く考える必要があると僕は思います。

(なお、個人的には今回の件に関して、あの匿名の投稿が待機児童の問題を議題として設定する効力を持ったところまでは良かったけれど、流行語大賞に選出されたことや、その受賞者が国会議員だったことはかなり野暮だったかと思います。)

 

*1:もちろんこれは誰が言ったかにもよると思います。というのも仮にトランプ現象なるものがアメリカでなく近隣のアジア諸国で起きた場合、その中で生まれる日本に向けた攻撃的な表現を、国内のマジョリティの抱えた不満が原因だと、同情的かつ客観的に捉えるひとは多くないと思われるからです。