ペンギンの飛び方

本を読んだりニュースを見たりして考えたことを、自由に書いていきたいと思います。

先日の韓国戦の監督の発言のまとめ記事について

 こんにちはhuman921です。

先日、僕はタイトルの記事についてブックマークコメントをしました。

 

痛いニュース(ノ∀`) : 韓国シン・テヨン監督「3失点したのを除けば完璧な試合だった」 - ライブドアブログ

ああいう展開(CL決勝のマンUバイエルンリバプールミラン)の後の「失点以外(まで)は完璧だった、あの○分間は何が起きたのかわからない」みたいな敗戦の弁ってよくあると思うけど全て国民性にする人達に一番驚く

2016/01/31 21:45

 

すると思った以上の反応があり、もちろんそれに反対するようなコメントもあって、その後いろいろ思うことがあったので久々にブログを書きたいと思います。

 

僕は普段まとめサイトのコメントについて、そのようなコメントが生まれた背景を考えてみることはあっても、何か反発をしたり、いちいち動揺したりしても仕方がない(特にタイトルのような記事の場合)と考えています。

しかし今回のまとめ記事については自身のブコメで書いたように、あのような試合展開の後の監督の弁としては、非常によく見られるテンプレートのような表現であったので「なぜこの監督の発言に対する反応がまとめられているのか」が理解できず、実際に記事を開いてまとめられているコメントを見ることにしたのでした(もちろん僕がサッカーが大好きなのもその理由のひとつですが)。

 

 

ところで試合に負けることには何かしら必ず理由があります。

特に今回の試合のような場合、リードしていた側が逆転される原因としては、たとえば選手交代のミス、集中力切れや油断、更なる追加点を奪えなかったこと、スタミナ切れ等々があると思います。

そしてあの試合では、日本が逆転に成功できたのは前半からしきりに松木さんも指摘していたとおり、韓国の選手たちの足が止まった事が大きいのは確かでした。

ですから監督の発言自体は実によくあるテンプレートなのですが、僕個人的には敗因から目をそらしている気がして、あまり好きではなく、特にひいきのチームの監督の発言であれば、少しがっかりしてしまいます(とはいってもシン監督は追加点を奪えなかったこととチームの油断、そしてリーダーの欠如などの要因をしっかり指摘しているので、原因から目をそらしているわけではありません)。

とりあえずブコメで僕が言いたかったことは、あの監督の発言は、もろもろの事情はとりあえず措いて、試合の多くの時間を優位に進めたチームが立て続けにゴールを決められ試合をひっくり返され敗戦した後に、世界の多くの監督が多用する、いわゆる結果と内容を切り分ける、選手たちの心情に配慮した(むしろそれを目的とした)非常によく見られる表現であると言うことです(他の似たような表現では「今日は我々の日ではなかった」などがありますね)。

 

さて、話は戻り、一種探究心のような気持ちで記事を開いた僕でしたが、記事に埋め尽くされていたのは、嘲笑と監督の発言と国民性を結びつけるコメント群でした。

今から考えれば、記事のようにひとつの言動を国民性に結びつけて発言することは、まとめサイト(ネット上)では頻繁に見られます。

また、試合を見ていなかったり、普段サッカーのニュースを見聞きしていない人で、あの記事のタイトルだけを見て本文を読まなかったのであれば監督の発言は滑稽に映ったのでしょう。

ですから、あのようなコメントがあふれかえると言うのは、とりあえず相手国を罵倒したいという人もいる現在、無理もないことなのかもしれません。

そのように考えるなら、いまさら取り立てて僕はあのようなブコメをする必要もなかったし、動揺する理由もありませんでした。

ではなぜ僕があの記事を見てわざわざ一言コメントを書くほど動揺し、悲しい気持ちになったのでしょうか。

それをブコメを書いたあと少し考えていました。そしてこれだと思える原因が見つかったような気がします。

 

それは試合に勝った側が負けた側に罵詈雑言を浴びせ、嘲笑する醜さ(それに国籍を絡めて)を見てしまったからではないかと思うのです。

この試合は展開としてはとてもスリリングで、途中までの日本の内容は措くとしても、いいゲームを見れてよかったと心底思いました(それも結局日本が勝ったからなんですが)。

そして試合全体については、韓国のほうもすばやい寄せからダイレクトでつなぐスタイルで、結果的に2点奪っていますから、しっかり持ち味を出していて、動きのあるいい試合を作ってくれていたと思うのです。

結果、大会の決勝にありがちなロースコアのゲームにはならず、しかも同じく決勝にありがちな荒れた展開にもなりませんでした。

それなのに、なぜ勝った側の人々が、負けた側に対してあのような反応をする必要があるのでしょう。

上に書いたように、負けた側のサポーターなら、監督の発言を批判してもまだ気持ちは分かるのです。

勝った側の人々が試合後に相手を、大勢でよってたかって嘲笑する意味ってなんなのでしょう。

いい試合だった、相手もいいサッカーをしていたではダメなのでしょうか。 

このことにサッカーを知っているか知らないかは、僕は関係ないと思うのです。

たとえ試合に勝ったとしても、何かしらの要素を見つけて国民性と絡めて必死になって相手を貶める、そんな人々がいるという事実が、いい試合を見れたと高揚していた僕を言いようもなく悲しい気持ちにさせたのでした。