ペンギンの飛び方

本を読んだりニュースを見たりして考えたことを、自由に書いていきたいと思います。

「集団主義的利己主義」が立ち行かなくなったとき

はてなブックマークでこちらの投稿が話題になっていました。 p-shirokuma.hatenadiary.com この投稿を読んでいて、以前僕が書いていたこの記事 human921.hatenablog.com の内容を思い出したので整理して再度自分の考えを書いてみます。 哲学者のポパーは、プ…

抗議の「作法」への批判を見たときに、僕が思い出す指摘

最近のニュースやtwitterを見ていて、過去に僕が投稿した記事でも引用していたキムリッカの例の指摘を久々に思い出したので再度引用したいと思います。 キムリッカは、「市民性」という名の、私たちが日常生活全般において要求される、たとえ最小限の徳性し…

政治における無関心の「パラドックス」

政治における「無関心」、あるいは政治決定をそのまま受任する態度がある国家において受け入れられるには、そうした態度が「有効」である(もしくは関心を持つことが無意味)と国民に広く認識されなければなりません。 ところで、そもそも政治に対する無関心…

「お前が言うな」論法の無意味さと有害さ

mainichi.jp b.hatena.ne.jp 2枚の布マスクを巡る一連の報道を見ていて、少し前から気になっていた「お前が言うな」論法についてに僕が感じていたことをつらつらと書いてみたいと思う。 まずは「お前が言うな」論法について、初めに整理しておく。 この論法…

ナチズムの精神 (ハロウェル『イデオロギーとしての自由主義の没落』 読書メモ)

以前私が読了した本にハロウェル『イデオロギーとしての自由主義の没落』というものがある。 この著作は「(ナチ時代のドイツにおいて)1933年以前には公然と自由主義と名乗っていた優れた教授、裁判官、法律家、および公務員たちが、自由主義の基本前提を拒…

ネットは個人間の意見の相違を強調する?

最近ネット(Twitter)で、おおむねの意見の方向性は一致している(と思われる。普段のツイートからして)のに、ある問題に対しての些細な意見の相違で、互いをきつく言い合っている(さらに自らのフォロワーに相手への攻撃を遠回しにけしかけていた)のを目…

「抑圧された不満の表出に対する怒り」の最も古い指摘?

僕は数年前、このブログで「デモはなぜ冷めるのか」という疑問について考えたことがあります。 当時は保育園の待機児童問題への不満を赤裸々に語った匿名の投稿が話題になっていた時期であり、当初はネット上でもその投稿に賛同を示すものが多かったように思…

消費主義は専制を防げない、ではどうすればよいか

民主主義国家において参政権を持つ私たちは、(方法さえ間違わなければ)ある程度の正しい情報を入手し、そこから国家の政策の変更、自らの代理人の決定を、平和裏に、選挙やその他意思表示の手段を通じて、自らの自由な判断で何度も行うことができる。 しか…

集団主義的な利己主義について

前の記事でも取り上げたポパーは、プラトンを批判する文脈で、次のような分類を提示します。 (A)個人主義 は (A)´集団主義に対する。 (B)利己主義 は (B)´利他主義に対する。 ポパーは、こうした分類から、プラトンが(本来違うものであるはずの)個人主義と…

公文書改ざんと民主主義の危機

私は最近、長い間読みたいとは思いつつ敬遠していたK.R.ポパーの『開かれた社会とその敵』を読んだ。間違いなく、私がここ数年手にした本の中で、最も衝撃を受けたものの一つであった。 今回は当該本で繰り広げられる議論を用いて、ここ1年半ほどの間世間を…

J.S.ミル先生によるネットでの議論のための心構え

blogos.com b.hatena.ne.jp 最近、インターネットがもたらす社会の分断について注目が集まっていますが、なんとなく読み返していたJ.S.ミルの『自由論』に、この問題を考えるヒントというか、分断の時代における議論の心構えとして有用そうな記述がいくつか…

怒りと文明化と市民性

最近投稿した記事に関連する話題がはてなブックマークでも話題になっていました。 p-shirokuma.hatenadiary.com 僕は2年半程前に、 ある問題について、「同じ考え、不満を持ち、それに賛同、共感していたのに、それを改善しようと実際に行動を起こすと冷める…

インターネットは世論の力と継続性を弱めるか

新聞、テレビ等、既存のマスメディアの信頼性が年々下がっているようです。 www.buzzfeed.com 上の記事の池上さんも指摘しているように、すべての個人が参加できるインターネットの発展によって、マスメディアの報道が広く批評の対象となり、またそれを共有…

憎悪と恐怖の世界

この前の金曜日、僕が働く職場の上司(30代)が、業務時間中に、近隣諸国の国民全体ををひどく差別するような発言をしました。 これまでも、その人物はその種の発言(すべてが現在インターネットで流布しているもの)を何度も繰り返してきましたが、今回のそれは…

ある種の寄付の呼びかけに対する違和感

「あの時○○人は私たちにたくさんの寄付をしてくれた。だから今度は私たち××人が、その恩返しをする番だ」 このような言説を、(特定の)諸外国で災害が起きた際に見聞きしたこと、みなさんはあるでしょうか。 この種の寄付の呼びかけには、時に「義務」を迫…

「共同体の罪」に対する責任と「歴史修正主義」

小池都知事の最近の言動や、8月に放送されたNHKスペシャルの影響もあってか、過去の歴史と、現在を生きる私たちとの関係、あるいはそれに対して私たちが持つ責任などの議論に再び注目が集まっています。 今回の記事ではこのような議論に関連して、「共同体の…

NHKの日米トップに対する報道の違い(ミサイル発射とハリケーン被害に関して)

このブログでは過去に何回か、(政治に関する)報道における「アクター中心主義」の問題について論じてきました。 human921.hatenablog.com human921.hatenablog.com 報道における「アクター中心主義」とは、僕が勝手に作った造語で、簡潔に言えば、 1 人物…

『ハクソーリッジ』と『小さな抵抗』

※映画のストーリーに関しての記述があります。 先日、映画『ハクソーリッジ』を見てきました。 沖縄戦において敬虔なキリスト教徒としての立場から戦場においても人を殺さず、それどころか武器すら持たずに衛生兵として数多くの兵士の命を救った、実話を基に…

「日本スゴイ」の時代比較

過去の記事では、近年のいわゆる「日本スゴイ」言説を、社会心理学(的な)観点から論じてみました。 それによれば、「日本スゴイ」という言説には、「内集団バイアス」と「黒い羊効果」という一見矛盾するようなロジックが内包されていたのでした。 詳しい…

政治とクリシェ

www.asahi.com 最近、政治におけるクリシェ(常套句)の存在が再び注目を集めています。 「お役所言葉」という言葉もあるように、そもそも政治とクリシェは切っても切れない関係にあるのかもしれません。 しかし、このところ見られるそれは、実のところ単に…

「駆け引き報道」と「抱負報道」

前回の記事では、僕は報道における「アクター中心主義」という概念を提起しました。 「アクター中心主義」とは、「対象の『人物』が現在、何を言ったのか、しているのかについてを中心に報道(ニュース)番組を構成すること」を意味し、換言すれば、「ニュー…

報道における「アクター中心主義」

現在、環境が変わり日常的にテレビのニュースを見ることができる状態にあります。そこで自分が気になったある報道の形態を、ここで備忘録的に書いておきたいと思います。 その報道形態というのが、タイトルにある「アクター中心主義」です。僕はメディア関係…

「日本スゴイ」と「内集団バイアス」

現在様々なメディアで取り上げられることの多いこの「日本スゴイ」という言説。各所で語られてる話題ですが、今回の記事ではこの件を、社会心理学的な観点から考えてみたいと思います。 僕が見るにこれらの言説には、大きく2種類のものがあるように思います…

差別と「社会的距離」

トランプ大統領が誕生したことで、以前にも増して注目が集まっている差別問題、人種問題ですが、今回の記事では、これらの問題と密接に関わる「社会的距離(Social Distance)」について考えてみたいと思います。 「社会的距離」とは、個人や集団間の親近、…

フェイクニュースサイトの2類型

www.buzzfeed.com このbuzzfeedさんの記事を見て、少し前から考えていたことを書こうと思います。それは、フェイクニュース(サイト)の形態についてです。2つあります。 「breitbart」型 まず、buzzfeedさんの記事で取り上げられているようなフェイクニュ…

「本音」の矛先が自分に向かうとき

過去の記事ではトランプさんの当選を出発点に、インターネットと政治と本音の関係について論じました。その最後の部分で、僕は次のようなことを書きました。 ここ日本でも、政治において(インターネット発の)「本音」は力を持ち始めています。 思えば、こ…

「Post-Truth」時代の情報との向き合い方(インターネット版)

オックスフォード大出版局が選出した今年の英単語が「Post-Truth」だったということで、日本でもにわかにこの単語が注目を集めています。 さて、この「Post-Truth」ですが、この言葉の意味する「客観的な事実や真実が重視されず、真実のように感じられること…

「本音」と政治とインターネット

アメリカの次期大統領がトランプさんに決定しました。 今回の結果については、専門家の方々が詳細な分析をするはずで、遠い国の出来事でもあるので僕なんかが特別何か言うことなんて無いんですが、つい最近「インターネットと本音」についての記事を書き、そ…

電車内での化粧と「儀礼的無関心」

最近の記事ではゴフマンを何度か取り上げましたが、先日電車内での化粧についての記事を見かけたので、前々から書いておこうと思っていたこれら電車内でのマナーについて、ゴフマンの「儀礼的無関心」と絡めながら考えてみたいと思います。 anond.hatelabo.j…

公共の場における「萌え絵」と「文明化」

ここ最近再び公共の場におけるいわゆる「萌え絵」の存在についていろんな議論が交わされてますね。 今回は何か個別の問題に対して何か解決策を考えてみるというわけではなく、一つの観点から見た「萌え絵」問題の枠組みを一度俯瞰してみたいと思います。 僕…